カルト・ミュージック・コレクション CULT MUSIC COLLECTION



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Sinfonia Tapkaara, Ritmica Ostinata, Symphonic Fantasia / Akira Ifukube

Sinfonia Tapkaara, Ritmica Ostinata, Symphonic Fantasia No.1 シンフォニア・タプカーラ、リトミカ・オスティナータ、SF交響ファンタジー第1番 / Akira Ifukube 伊福部昭

e0111398_313547.jpg伊福部昭にはユーラシア大陸の血が脈打っていたに違いない。この北海道にいた無名の作曲家に初めて評価を与えたのはロシアの作曲家チェレプニンであった。そしてこのCDで演奏するのは、ロシア・フィルハーモニー管弦楽団。指揮はドミトリ・ヤブロンスキーだ。まさに伊福部昭のダイナミズムをあますところなく表現した演奏である。

「シンフォニア・タプカーラ」はよく知られた曲である。「タプカーラ」とはアイヌ舞踊の形式のひとつを指す言葉であり、宗教儀式や酒宴の席で長老によって行われ、自然の恵みに感謝する意味があるという。土着的なリズム感に貫かれながら、日本的な旋律が随所に取り入れられている。

第1楽章はまさに伊福部サウンド。一度聴いたら忘れられない力強い印象的なフレーズ。執拗に繰り返されるテーマのオスティナート。第2楽章はゆったりと流れる。そして第3楽章。荒々しいリズムに乗って華やかなテーマが奏でられる。中間部のやや穏やかな部分をはさみ、ずんずんと刻まれる弦楽器にのって管楽器が豪快に吹き鳴らされて終焉する。

「ピアノとオーケストラのためのリトミカ・オスティナータ」は題名にも込められたように、オスティナート、テーマの繰り返しを意識した曲だ。ここでのピアノによるテーマは、拍子感のない浮遊するようなもので、ミニマル・ミュージックの影響も受ける。

そしてもはや説明の必要はない「SF交響ファンタジー第1番」である。半音階の不安定感を最大限に生かし切ったゴジラのテーマは、誰が聴いてもそれとわかる。

さらにこのCDで嬉しいのは、片山杜秀による伊福部昭と収録曲についての12ページにわたる日本語による解説である。これを読めば、伊福部昭とは何者だったのか、そしてその音楽に込められた秘密の一端を垣間見ることができる。

これらの曲は、2004年5月、モスクワ、ロシア国営TV&ラジオ・カンパニー「Kultura」、第5スタジオで録音された。このCDは2004年にNAXOSから発売され、株式会社アイヴィによって輸入・販売された。(20061229/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)
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by cultmusic | 2006-12-29 02:59 | 現代音楽

Piano Music / Karlheinz Stockhausen

e0111398_2182359.jpgシュトックハウゼンといえば12音技法やトータル・セリエリズムといった音楽理論を連想する。そしてこれらの音楽理論においては、その様式を完遂することに主たる意味があり、厳格な様式に縛られて面白くない音楽であるという先入観を持ってしまう。しかし、ここにあるシュトックハウゼンのTierkreisはひたすら美しい。作曲されたのは1975-1977とあり、これはシュトックハウゼンにとって、さまざまな新しい音楽技法を試みた後の作品である、ということもあるのかもしれない。

カールハインツ・シュトックハウゼンは、不確定性、多義性を伴った作曲法を試みた後、「フォルメル技法」と呼ばれる作曲技法を開発する。その後ふたたび不確定性、多義性の要素を加えて作曲されたものがこのTierkreis、日本語で「十二宮」あるいは「黄道十二宮」またはそのまま「ティアクライス」と表記される曲だ。この曲では演奏者が記譜されたメロディーをもとに自分自身の演奏用バージョンを作る事を求められ、作曲者自身も様々な楽器編成のために数多くのバージョンを作っている。ここではピアノによる演奏である。

Aus den Sieben Tagen、邦訳を「7つの日より」とされる音楽は、テキストによる指示で演奏をするという究極の不確定性をもつ曲で、「直感音楽」と呼ばれている。「7つの日より」は15のテキストによる組曲で、CDにすると7枚組になるような大作である。「直観音楽」すなわちインプロビゼーションは、作曲者自身の構想と演奏者の技法が織りなす作品であり、それをテキストによる指示で行うということが果たして作曲になるのかどうか疑問ではある。ここではピアノを演奏しているのはElisabeth Kleinであり、ピアノによる断片のコラージュ・バージョンだと書かれている。

このCDは1999年にOlufsen Recordsから発売されたデンマーク盤だ。断言する。12音音楽は美しい。(20061228/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)
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by cultmusic | 2006-12-28 02:17 | 現代音楽

Symphony No.3 'Liturgique', Pacific 231, Pastorale d'ete, Rugby / Arthur Honegger

e0111398_2163962.jpgオネゲルの曲は歯切れがいい。「パシフィック231」は俺のお気に入りで、学生時代によく聞いたものだが、ここにある「交響曲第3番」はもっといい。この交響曲は「Liturgique」、日本語訳で「典礼風」とされる。「典礼」はカトリック教会の用語で、教会における神に対する公的な奉仕行為や儀式一般を意味するが、あまり荘厳な感じは受けない。むしろダイナミックで命の喜びに満ちあふれた印象を与える。とりわけ第一楽章の「怒りの日」は激しい感動を与えてくれる。この第一楽章を聴くだけで、オネゲルの虜になるだろう。

「ラグビー-交響的運動第2番」も著名な曲である。躍動感があり、風景が目に浮かぶようだ。だがしかし、続く「交響的運動第3番」はもっと素晴らしい。まるで映画のシーンを見ているように、極彩色の音が空を飛ぶ。音の流れに心を奪われる。

これらの曲を聴きながら、CDは「パシフィック231」へと続く。この有名な表題音楽はオネゲルの「交響的運動第1番」にあたるが、まさに機関車の走る力強さと爽快さが伝わってくる作品だ。パシフィック231は走る。走る。ボイラーは絶え間なく焚かれ、シリンダーはうなりをあげて車輪を回す。

そしてCDの最後には「夏の牧歌」がある。清楚で爽やかな曲だ。「夏」といっても盛夏ではなく、まだ少し肌寒さも残る初夏の印象がある。

ところで「交響曲第3番」の第一楽章と「パシフィック231」のずんずんとしたフレーズから、スティーブン・スピルバーグ監督の映画「ジョーズ」を連想しないだろうか。もちろんジョーズのテーマも優れた曲であり「真似をした」などと無粋なことを言うつもりはないのだが。

これらの曲は2002年1月にニュージーランド・ウェリントンのウェリントン・タウン・ホールで録音された。演奏はニュージーランド交響楽団、指揮は湯浅卓雄。このCDは2004年にNAXOSから発売された。(20061227/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)
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by cultmusic | 2006-12-27 02:15 | 現代音楽

Electronic Music / Iannis Xenakis

e0111398_214398.jpgクセナキスの名前は学生時代から知っていた。しかし、その音楽を実際に耳にすることはなかった。しかし近年では、かなり多くの録音がCDの形で手に入るようになっている。このアルバムはクセナキスの電子音楽を集めたものである。一口に電子音楽といっても、たとえば富田勲とカールハインツ・シュトックハウゼン、スティーヴ・ライヒでは全く違う音楽であり、ヤニス・クセナキスの電子音楽も、また、違う。

このアルバムには6曲の電子音楽が収められている。いずれも実験的な色彩が極めて濃く、はたしてこれが音楽といえるのかどうかの、という境界線上にあるものである。バイオリンやピアノなど既存の楽器は、そもそも楽器そのものの音が心地よく響くように作られているため、極端にいえば楽曲になっていなくとも、楽器の音がちゃんと鳴っていれば、その音を聴くだけで楽しめるところがある。しかし電子音楽では、そうはいかない。

1曲目の「Diamorphoses」はシンセサイザーの作品。ホワイトノイズの可能性を追求したもの。2曲目「Concret PH」はスクラッチノイズを利用したもの。この曲はまさに音楽といえるのか、と思う人もいるかも知れないものだが、実はこのコンセプトはクリスチャン・フィネズ Christian Fennesz のエンドレス・サマー Endless Summer に代表される「ノイズ」と言われる音楽に開花するのである。ノイズであっても美しいものもあるのだ。3曲目の「Orient - Occident」は、東洋風の打楽器の音を主体にした曲だ。4曲目の「Bohor」は、音反射の強い空間における、残響の面白さが使われている。これはすごい。21分36秒の大作であるが、「なんだこれは」と思っている間に、いつのまにか音空間に引き込まれてしまっている。じっと心を開いていると、「時間感覚」を失ってしまいそうになる。そして突然に、最後の瞬間が訪れる。

ここまでの4曲は、1957年から1962年にかけて作曲されたもので、クセナキスの比較的初期の作品にあたる。5曲目の「Hibiki-Hana-Ma」は、「響き、花、間」であり、1970年開催の大阪万博で発表されたものだ。音の素材として鼓らしき音や笙や笛、三味線の音が使われている。あらためて聴いてみると、たいへん攻撃的な作風である。今日でも十分通じる攻撃性を持っている。当時これは360度の多チャンネル装置で再生されたようだが、当時の日本人はかなりの衝撃を受けたか、あるいは全く理解できなかったかのどちらかであるにちがいない。

最後の6曲目「S.709」も凄い。これは1992年に作曲されたもので、電子音の持つ力を極限まで試みている。

クセナキスの音楽は、聴き手に強いるものがある。これらの音楽を聴くときには、相当の覚悟が必要だ。このCDは1997年にElectronic Music Foundation Ltd.から発売されたカナダ盤だ。(20061226/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)
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by cultmusic | 2006-12-26 02:11 | 現代音楽

Orchestral Works / Arnold Schoenberg

e0111398_318246.jpgシェーンベルクは「12音技法」を創始したことで有名だ。しかしこのアルバムに収められた「室内交響曲第2番」は、第二次世界大戦よりナチス・ドイツから逃れてアメリカに移住した後の、シェーンベルク晩年の作品であり、完全に調性のある音楽である。現代音楽になじみのない人でもリラックスして楽しめる。2曲目は「映画の一場面への伴奏音楽」で、映画音楽をイメージして作られた作品。そして3曲目はシェーンベルク初期の代表作「浄められた夜」である。

「浄められた夜」はシェーンベルクが12音技法を確立する以前に作曲した作品で、後期ロマン派の音楽に分類される。この曲は学生時代にもFMラジオなどで何度か聴いたことがあるのだが、「シェーンベルクは12音技法の作曲家だ」ということしか知らなかったときは、その良さがわからなかった。派手ではないし、かといって伝統的な手法に基づく音楽ではない。なんとも中途半端な曲だ、という印象しか持ち得なかった。

しかしこのアルバムに出会い、先入観をなくして聴くことによって、初めてこの曲の素晴らしさを体験できた。なるほど、この曲はシェーンベルクの曲の中でも極めて有名であり、数多くの録音がCDとして発売されている。おそらく演奏によってずいぶん印象は異なるのだろう。いろいろな演奏を聴き比べているファンも多いようだ。だが俺は今のところこのアルバム以外の演奏を聴こうとは思わない。これは俺とシェーンベルクを再会させてくれた記念すべきアルバムだからだ。

流れるような旋律、激しく、また穏やかに、そしてまた激しくと流転する。清楚でありながら豊饒である。奥ゆかしさと華麗さがみごとに溶け込んでいる。「浄められた夜」はただひたすらに、心にしみこんでいく。

「浄められた夜」は「浄夜」と日本語表記されることもあるが、やはり「浄められた夜」という言葉にこだわりたい。この録音は1998年2月、北アイルランド・ベルファスト、アルスター・ホールで録音された。このCDは2000年にNAXOSから発売された。(20061223/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)
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by cultmusic | 2006-12-23 03:17 | 現代音楽

Como una ola de fuerza y luz / Luigi Nono 力と光の波のように

e0111398_3161759.jpgこのblogでは、現代音楽は決して難解ではない、と書いてきたが、これは難解である。しかし俺にとっては、まさに、このような音楽が現代音楽だ。聴いていて全く心地よくない。不安を掻き立てられるようだ。気の弱い人は夜に聴かない方がいい。俺は就寝前にうとうとしながら聴いていて、胸が苦しくなった。危険である。ピアノはマウリツィオ・ポリーニ、オーケストラはバイエルン放送交響楽団、指揮はクラウディオ・アバド。

「Como una ola de fuerza y luz」はルイジ・ノーノの代表作で、邦題は「力と光の波のように」とされる。全部で7楽章からなる29分58秒の曲。「for soprano, piano, orchestra and tape」となっており、磁気テープを利用した一連の作品群のひとつである。オーケストラか声なのか、またはテープの音なのか判然としない音のかたまりが盛り上がり、「ルシアーノ!ルシアーノ!」と叫び声にも似た女性ソプラノが轟く。そして歌または朗読ともとらえることができるテキストがあらわれる。

このCDにはイタリア語、ドイツ語、フランス語、そして英語によるテキストが載せられている。「ルシアーノ!ルシアーノ!この国の壊滅的な風の中で、多くの人々が苦闘する世界において、あなたは革命とともに成長を続けるでしょう。」といったテキストは、チリの革命家ルシアーノ・クルツに捧げられている。ノーノが共産主義や社会主義に傾倒していた時代の作品である。

そして曲はピアノの粗暴な連打音に続いて、オーケストラとテープの混沌とした音の洪水に覆い尽くされていく。破壊的な音で脳髄はかき回され、絶望の淵に追いやられる。再び女性ソプラノが歌い、そして最後にはオーケストラとピアノ、テープ音が三つ巴となって立体的な音空間を作り上げる。なんと恐ろしい音楽なのだろう。

2曲目の「..... sofferte onde serene ...」は「.....ソッフェルテ・オンデ・セレーネ...」とそのまま書かれることもあるが、「.....苦悩に満ちながらも晴朗な波...」と邦訳されることもある。ピアノとテープによる13分58秒の曲だ。この曲では録音テープは比較的控え目に使われており、ポリーニのピアノが中心となっている。

3曲目はテープのための「Contrappunto dialettico alla mente」で、邦訳は「知的認識への弁証法論理による対位法」とされる、19分51秒の曲。これは「磁気テープのための」とあるが電子音楽ではなく、音の素材として一人の女性ソプラノ、そして4人の声が使われている。切り刻まれ、加工され、貼り付けられた声が、音のコラージュのようである。

このCDはグラモフォンから「20th century classics」として発売されたもので、デジタル・リマスターされている。これはドイツ盤であるが、同じものがポリドールから日本盤でも出たらしい。現在は廃盤になっているようだが、テキストを日本訳で読みながら聴きたいものだ。(20061222/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)
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by cultmusic | 2006-12-22 03:11 | 現代音楽

Piano Music / Darius Milhaud

e0111398_0462149.jpg「ミヨー」という名前の読み方を、「ミ・ヨー」ではなく「ミョ・ー」だと、つい最近まで思っていた。知人の音楽教員に説明しても通じず、わかったときには笑われた。この先生は俺の尊敬する人の一人で、数少ない俺の理解者でもあるのだが、残念ながら現代音楽の話にはつきあってもらえない。「変わったものばかり聴くなあ」と一蹴されるだけだ。音楽を系統的に学んだわけではないので、俺の現代音楽に関する知識はこの程度のものである。しかし今まで聴いてきた音楽の数は半端ではない。自分の耳は確かなつもりだ。

学生時代から現代音楽に興味があった。しかし雑誌や書籍で知識は増えるものの、実際に曲を聴くという機会は、なかなかなかった。いわゆる「耳年増」といった状態であったわけだ。しかしNAXOSの近代・現代音楽のライブラリーを知り、名曲といわれる有名なクラシックだけでなく、数多くの新しい音楽聴くことができるようになって喜んでいる。ミヨーの名前も昔から知ってはいたのだが、実際にCDで音楽を聴いたのは、これが初めてだ。

しかしNAXOSのシリーズも賛否両論というか玉石混淆のようである。クラシックを長らく聴いてきた人には、初めて聴く楽曲であっても演奏の良しあしがわかるらしい。古典的なクラシック曲を楽しむ人の中には、同じ曲を様々な演奏家や録音を聴き比べることを趣味にしている人もいるのだが、俺は演奏の違いを味わう域にまで達していない。

現代音楽は難解であると言われる。確かに何度も繰り返し聴かなければ、その面白さを理解し難い曲もたくさんあるし、理解するまでは聴くことが苦痛でさえある曲もある。もっといえば聞き手に苦痛を与えることが目的ではないかと思われる曲もあったりする。難解だ、と言われるのも無理がない。しかし、このアルバムに収められた「ブラジルの思い出」は全く難解ではない。素直に楽しめるピアノ曲だ。

「ブラジルの思い出」は全部で12の小曲からなる組曲である。NAXOSの日本語説明には「舞曲の組曲」となっている。CDの裏には「ミヨーが自らの血の高まりを最高に確信したブラジルの生活」「その総決算的作品がラテンリズムと多調の饗宴『ブラジルの思い出』」と書かれている。ブラジルといえばサンバの熱狂的な音楽を連想するのだが、しかしこの「ブラジルの思い出」からはサンバの匂いはしてこない。熱狂的というよりも、からりと明るくユーモアに富んだ音楽である。

印象派のピアノ曲で有名な「クロード・ドビュッシー」が、ちょっと気取った「京都風」、クールでさりげなく美しい「エリック・サティ」が「神戸風」であるとすると、この明るくユーモアに富んだ「ダリウス・ミヨー」は、「大阪風」と言って良いのではないだろうか。ドビュッシーやサティを好きな人なら間違いなく楽しめる。

このアルバムには「ブラジルの思い出」の12曲以外に、愛妻のために作られた「家庭のミューズOp.245」の15曲、映画音楽「ボヴァリー夫人」より作曲者編の「ボヴァリー夫人のアルバムOp.128b」の17曲、合計44曲が収められている。これらの曲は1995年1月にパリのサン・マルセル寺院で収録された。このCDは1995年にNAXOSから発売されたものだ。(20061221/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)
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by cultmusic | 2006-12-21 00:42 | 現代音楽

Sonatas and Interludes for Prepared Piano / John Cage

e0111398_0413530.jpg1970年代半ばから後半にかけて、プログレッシブ・ロックやニュー・ウェイブに関心があった者にとっては、カールハインツ・シュトックハウゼンやヤニス・クセナキス、そしてジョン・ケージの名前は、早くから耳にしていた。当時の音楽雑誌の中で先進的なものは、彼らの音楽を記事の中で紹介していたからだ。しかし当時は実際にそれら現代音楽を実際に耳で聴く機会はほとんどなかった。コンサートで聴くなどということはもちろん、レコードすら手に入れることは難しかったからだ。

聴くことができないため、記事として文章でこれら現代音楽のことを読んでも、もちろんどんな音楽かはわからない。そのためなおさら、これら先進的な現代音楽に対するあこがれが心の中で膨らんでいった。それが今日では、比較的有名な現代音楽曲であれば、容易にCDを手に入れることができるようになった。たいへん喜ばしいことである。

現代音楽に関する情報が乏しかった当時でも、ジョン・ケージの「プリペアード・ピアノのための音楽」は比較的イメージしやすいコンセプトだった。ピアノの弦にボルトやプラスティック、ゴムなどさまざまな異物を挟み込み、ピアノの音を変化させる、というものは、ある程度想像することができた。しかし、なぜピアノの音を変えるのか、音を変えることにどんな意味があるのか、ということまでは、実際に音楽を聴くまで理解できなかった。

ピアノの弦に異物を挟む、という行為は、もちろん単に奇妙で非日常的な音を出すというだけではない。異物を挟むことによってピアノの音に持続がなくなり、音程感が失われ、パーカッションのような音色を作りだすことができるのだ。また誇張された倍音は、リング・モジュレータを介したような効果も得ることができる。そしてこれらの加工は、ピアノの全ての弦に対して行われるのではない。88鍵のうち49鍵に加工が加えられ、残りの鍵盤は通常の音を出す弦が確保されている。つまり加工された弦の音は、通常のピアノの音と共に使われることによって、新しい音楽的効果が得られるのである。

16曲の「ソナタ」と4曲の「インターリュード」のうち、「ソナタ第5番」は、リズムと音色の使い方が最も効果的に感じる。プリペアード・ピアノの面白さが素直にわかるのはこの曲だ。初めて聴くときは、この曲をまず最初に聴くのが良いかもしれない。また多くの曲はリズムの面白さが強調されており、プリペアードされた弦の音程感は薄く、調性に欠けた雰囲気の曲が多いのだが、その中にあって「ソナタ第12番」は別格にドラマチックであり、かつ、プリペアードされた弦の音がとてもリリカルに感じられる。

このアルバムは、高橋悠治により1975年に録音された。ピアノの準備もジャケット写真からわかるように、高橋悠治が自ら調整したという。(20061220/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)
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by cultmusic | 2006-12-20 00:40 | 現代音楽

Works for Orchestra / Akira Ifukube 交響作品集 / 伊福部昭

e0111398_0393095.jpg近年、伊福部昭の作品は再び注目を浴びており、数多くの作品がCDで手に入るようになってきた。たいへん喜ばしいかぎりだ。ここではfontecから発売されているアルバムの中から「交響作品集」を紹介する。このアルバムには、伊福部昭のデビュー作品である「日本狂詩曲」が収められている。

このアルバムには「日本狂詩曲」と「土俗的三連画」、そして「オーケストラとマリンバのためのラウダ・コンチェルータ」が収められている。これらの演奏は、いずれもコンサートのライブ録音である。指揮は山田一雄、演奏は新星日本交響楽団。「日本狂詩曲」は1980年5月13日、「土俗的三連画」は1986年5月27日、「オーケストラとマリンバのためのラウダ・コンチェルータ」は1979年9月12日の演奏である。「オーケストラとマリンバのためのラウダ・コンチェルータ」でマリンバを演奏しているのは安倍圭子である。

とにかく熱い。すさまじい熱気にあふれる演奏である。「日本狂詩曲」の第二楽章と「オーケストラとマリンバのためのラウダ・コンチェルータ」が終わると「うおー」という観客の聴衆の叫び声とともに、会場内にすさまじい拍手の音が響き渡る。聴衆と演奏者、指揮者が一体となって感動の瞬間を迎えた様子が迫ってくる。音楽にはこれほどまでの力があるのか、と体の震えが止まらない。感動で涙が止まらない。

fontecは現代音楽のCDを意欲的に発売しているレーベルである。このたびfontecのページをWebで調べると、残念ながら伊福部昭の交響作品集は絶版になっているようだ。ところがタワーレコードでは、この交響作品集を含んだ伊福部昭のアルバムやそのほかの日本の作曲家のアルバムが購入できるようになっている。これは「タワーレコード渋谷店10周年記念特別企画」という限定数の復刻版であるらしい。しかも特別価格1,490円ということだ。俺はfontecの伊福部昭作品をいくつか持っているが、この機会を逃さず全作品を購入することにした。このシリーズでは、とりわけこの「交響作品集」そして「釧路湿原」は絶対のおすすめだ。(20061219/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)
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by cultmusic | 2006-12-19 00:35 | 現代音楽

Helikopter-Streichquartett / Karlheinz Stockhausen

e0111398_1275416.jpg「ヘリコプター・カルテット」という名前からは、ヘリコプターを題材にした音楽という想像ができるが、作者はシュトックハウゼン。そんなに生易しいものではない。ビオラ、チェロ、そして2台のバイオリン、これらの奏者は別々のヘリコプターに乗り込み、飛翔してヘリコプターの中で演奏する。これらヘリコプターの奏者は、ビデオカメラとモニターで互いの演奏を確認できるようになっており、一台のヘリコプターにつき3本のマイクロフォンで音を収録し、それぞれの奏者と聴衆のいる会場へ送信されるようになっている。

実際にこの曲を聞くまでは、おそらく単なる思い付き、または奇をてらっただけの演奏だと思っていた。しかし、そうではなかった。なぜヘリコプターなのか。実は乗り物はヘリコプターでなければならないのだ。電車やバス、船の中で演奏するのとは全く意味が違う。これらの演奏者がヘリコプターに乗り込んで演奏することには、必然があったのだ。そのことは、実際に音楽を聴いてみるとわかる。

CDをかけると、まずヘリコプターのエンジン音から始まる。少しずつ大きくなるエンジン音にプロペラの音が入ってくる。そしてビオラ、チェロ、バイオリンの演奏が始まる。エンジン音が高くなり、プロペラの回転が速くなるにつれ、弦楽器のフレーズも速度を増す。そう、ヘリコプターの操縦士と弦楽器の演奏者は、互いにコラボレーションをしているのだ。ヘリコプターが高く、低く、そして速く、遅く、空を飛びまわりながら、その中にいる弦楽器奏者は、飛行体験に影響を受けながら演奏する。物理的な変化が演奏に影響を与えるという、ダイナミックなコラボレーションだ。

この曲では、当然ながらヘリコプターのエンジン音やプロペラ音も、音楽の重要な要素である。これらの音は右チャンネルと左チャンネルを行き来している。単に環境として偶然に録音されたものではなく、おそらく意識的にミックスされたものであろう。さらに曲が佳境に入ってくると、むしろヘリコプターの音が主であり、弦楽器の音が伴奏に思えてくる。となると、まさに、この曲は、「4台のヘリコプターによる音楽」であることになる。楽器は4台のヘリコプターであり、演奏者はヘリコプターの操縦士なのだ。

一般の楽器ではない物の音を音楽に利用する「ミュージック・コンクレート」というジャンルがある。ピエール・ブーレーズやエドガー・ヴァレーズ、ヤニス・クセナキスらが有名だが、この「ヘリコプター・カルテット」は、単にヘリコプターという楽器ではないものを音楽に利用した、というだけではなく、ヘリコプターの操縦士との物理的なコラボレーションであるという点が、単なるミュージック・コンクレート作品と画期的に異なる。ヘリコプターが主たる楽器であるとすれば、楽器の中に伴奏者を入れて演奏をする、ということになるわけだ。これほどエキセントリックなコラボレーションはない。

ヘリコプター・カルテットは1996年12月7日と8日に録音された。このCDは1999年に発売されたフランス盤だ。(20061216/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)
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by cultmusic | 2006-12-16 01:25 | 現代音楽


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