カルト・ミュージック・コレクション CULT MUSIC COLLECTION



Live / Ian Gillan

e0111398_15253.jpgイアン・ギランの声は最高だ。この気持ちは、学生時代に夢中になって聴いたことに端を発しているので、間違いなく死ぬまで治らない。

ロックに限らず音楽はいろいろな楽しみ方があるが、なかでもボーカルというパートは、他の何物にも代えがたい、その人独特の個性があるので、ボーカルがどうであるか、が曲のイメージを決定するということが往々にしてある。ボーカルを味わうためにその曲を聴く、そのバンドの曲を聴く、ということが少なくない。

その意味では、俺は死ぬまでイアン・ギランを追い続けるだろう。ディープ・パープル時代のイアン・ギランもいいが、自分のバンドを持ち「ギラン」あるいは「イアン・ギラン・バンド」を名乗っていた時代が、最も脂の乗り切ったときではないだろうか、と思う。このアルバムは、その当時のライブ録音をCDのしたものだ。

録音は1979年と1980年、レディング・ロック・フェスティバルとBBCコンサートのものだと書かれている。おそらくCD1がレディング・ロック・フェスティバルで、CD2がBBCコンサートだろうと推測される。パッケージが簡素なものであり、録音に際してこれ以上の詳細はわからない。2枚組のCDで、CD1は12曲で合計60分46秒、CD2は12曲で60分09秒の録音だ。

いずれの録音も、ミキサー卓から音をとったのではなく、マイクを2本立てて生録音したようなもので、録音のクオリティは良くない。しかし会場そのもののコンディションが良いので、十分に演奏を楽しめる。いや、むしろ臨場感があって、迫力が感じられて良いともいえる。

強力なメンバーを擁して、全力疾走するイアン・ギランの雄姿がここにある。この音を聴くことができて、俺は幸せだ。(20070303/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)
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# by cultmusic | 2007-03-03 01:52 | ハードロック

Complete Piano Music, Vol.1 / Manuel Blancafort

e0111398_111594.jpgカタルーニャ州は、州都をバルセロナ市を擁するスペイン北東部の州。カタラン語という独自の公用語を使い、カタラン地方とも呼ばれ、歴史的にスペイン中部のカスティーリャ地方とは異なる文化を持っている。マヌエル・ブランカフォートは、そのカタルーニャで自動ピアノの一種であるピアノラ製造工場を所有している家族のもとで成長し、愛国主義的な音楽を作曲した。

やさしい音楽である。マニュエルブランカフォートは青年時代にモンポウに会って大きな影響を受けた、とのことだが、確かにその音楽はモンポウと通じるものがある。あるいはまた、エリック・サティのようでもある。素朴な作風の中に印象的なメロディーが息づいている。どの曲も、奇をてらうことなく、それでいて一度聴いたら心に深く染み込んで忘れられない。不思議なくらいである。

このCDはNAXOSのスパニッシュ・クラシックスと銘打たれたシリーズの一枚で、ブランカフォートのピアノ音楽全集第1集である。収められいるのは7曲の「青春の小品」、9曲の「山の歌」、8曲の「過ぎ去りし日々の覚え書」、そして13曲の「12の歌」の合計37曲である。ちなみに「12の歌」が13曲でできているのは、うち1曲が「1st version」と「2nd version」に分かれているためである。

現時点でNAXOSからはブランカフォートのピアノ作品集が1集から3集まで出ている。このような地味であるが素晴らしい音楽を、手頃な価格で手に入れることができるNAXOSのシリーズは素晴らしい。またNAXOSは音楽を表現する言葉もうまい。CDについている日本語の紹介文を読むと、一刻も早くこの音楽を聴かなければ、といった気持ちにさせられる。

録音は2002年11月、スペイン、ハフレ、オーディトリウムで行われた。ピアノはミケル・ビリャルバ。2003年9月にNAXOSから発売されたE.C.盤のCDだ。(20070302/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)
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# by cultmusic | 2007-03-02 01:02 | 現代音楽

Symphonic Poem "Tateyama" 交響詩「立山」/ Toshiro Mayuzumi 黛敏郎

e0111398_323130.jpg黛敏郎はテレビ番組「題名のない音楽会」の司会として知られている。現代音楽のことをよく知らなかった頃は、黛敏郎は指揮者として知っていても、作曲家としてはよく知らなかった。現代音楽を少し知るようになってからは、曼荼羅交響曲や涅槃交響曲などの有名な曲を聴くようになった。

保守系団体「日本を守る国民会議」の議長を務め、保守派の論客として知られたところからすると、その音楽も国粋主義的なものであると考えられる。しかし黛敏郎の音楽は、たとえば伊福部昭や松平頼則のような日本へのこだわり方とは、また少し違ったものがある。黛敏郎の姿勢は日本に対して中庸であり公平である。日本的である、あるいは日本人であるということ以前に、音楽として純粋であり、音楽家としての真摯な姿勢がある。

この交響詩「立山」は、1973年に制作された松山善三監督の映画のために作曲された。黛敏郎は「映画を自由に作って貰った上で、私は私なりに、その映画に即した、しかも純音楽としても成立し得る作品を作ろうと云うことになった。もちろん、私自身も、立山を上空から綿密に観察したり、新雪の室堂平から完成数日前に立山隧道を歩いたり心ゆくまで『立山』を体験した」と語っている。黛敏郎の作曲に対する真摯な態度が伝わり、そして確かにこの「立山」は、親しみやすい作品である。

このCDは、1980年にレコードが発売されたものを2004年にTOWER RECORDSと株式会社BMGファンハウスがCD化したものだ。TOWER RECORDS RCA Precious Selection 1000の一枚、No.24である。(20070301/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)
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# by cultmusic | 2007-03-01 03:23 | 現代音楽

Hole in the Bird / Dietrich Eichmann

e0111398_2214565.jpg「Piano Quartet the Late 92」はピアノ四重奏曲であるが、もともとはヘビーメタル・バンドと2台のピアノのために書かれたらしい。ロック・バンドを現代音楽に使うという発想は、普通の作曲家にはないだろう。そのロック・バンドが何なのかは解説には書かれていないが、2人の素晴らしいミュージシャンがいたらしい。ところが往々にしてロック・バンドというものは早くに解散してしまうもので、この曲が完成する前にバンドは解散してしまったらしい。それから後になってOttomaniアンサンブルから4台のピアノのための曲を作って欲しいと頼まれたとき、この曲のことを思い出して材料として作ったらぴったりだった、とのことだ。

確かに4台のピアノはまるでロックバンドのように絡み合いながら演奏をする。ただし楽器が全部ピアノなので、音の区別がつきにくい。きちんとしたオーディオ・セットで聴くか、良いヘッドフォンを使って聴かないと、面白さは半減するかもしれない。クラスター的な音を多用し、荒々しい曲である。

訳せば「香港の朝、薄明かりの中で皮製ユリに出会った悪臭指の大量殺人者ジョー」といった感じになる2曲目は、クラリネットとバイオリン、ピアノ、そして解説の声による作品だ。声を発しているのはディートリッヒ・アイヒマン自身である。こちらはそれほど饒舌ではなく、あえて洗練されていない粗野な音をぶつける面白さがある。同じフレーズを繰り返し何度も使うところは、まさに偏執的な様相を呈している。打撃音なども加えられており、解説の声もあわせて演劇的な要素も感じられる。

「フルートとピアノのための熱く無題の曲」は楽器の演奏、というか音の面白さをじっくりと聴かせる曲である。またフルート奏者の声らしい音も入っており、何かを叩く音もある。またいったい何をどうやって音を出しているのか不思議な音も入っている。ピアノもユーモアがあり最初から最後まで飽きさせない曲だ。

このCDは2001年にWERGOから発売された。ドイツ盤である。(20070228/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)
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# by cultmusic | 2007-02-28 02:22 | 現代音楽

Music for Non-Prepared Piano / John Cage

e0111398_2304285.jpgジョン・ケージのピアノ曲といえば、やはりプリペアード・ピアノのための曲という印象が強いが、だからこそこのCDでは、あえてジョン・ケージのプリペアードではないピアノ曲が収められている。これらのピアノ曲を、あえて「Music for Non-Prepared Piano」というところが面白い。

ところで、まずは、ジョン・ケージのプリペアード・ピアノでない作品が面白いのかどうなのか、というところだが、まず1938年の作品である「メタモルフォーシス」や1935年の「探究」では、まさにプリペアード・ピアノへとつながるような着想の作品であり、ピアノ自体は普通のピアノであるが、幾何学的な音の使い方が進化の過程にあることが感じられる。1946年の作品「オフィーリア」も同様の傾向で、リズムを重視しながらピアノの音の面白さをふんだんに試行した作品になっている。

同じ1946年の作品でも「ピアノのための2つの小品」では、音がたいへん少ない。また1948年の「ある風景の中で」と「ドリーム」はまるで印象派のピアノ曲のように優しい。同じ1948年の「トイ・ピアノのための組曲」でも、おもちゃのピアノで演奏できるようにという制約のなかで、限られた音域の音だけを選んで作曲されている。

他にも1987年に作曲されたナンバーピースの最初の作品「One」や1985年の作品「ASLSP」など後期の作品も収められている。「メタモルフォーシス」や「オフィーリア」といったケージらしい派手な作品も楽しめるが、「ある風景の中で」と「ドリーム」のような清楚で美しい作品に出会えたのも嬉しい。ジョン・ケージの知られざる一面をみた気がする。

ピアノ演奏はジェイ・ゴットリーブ。このCDは2002年にogamから発売されたCDを日本の東京エムプラスという会社が輸入し、日本語の解説を少しつけて国内で発売したものだ。CDそのものはフランス盤である。(20070227/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)
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# by cultmusic | 2007-02-27 02:31 | 現代音楽

Gruppen, Punkte / Karlheinz Stockhausen

e0111398_216549.jpg「グルッペン」は1955年から1957年にかけて作曲された曲で、3つのオーケストラのための作品だ。3つのオーケストラはほぼ同じ規模であり、左がオーケストラ1、中央がオーケストラ2、右がオーケストラ3というように配置され、全体の人数は109名というもの。楽器の中にはエレクトリック・ギターも含まれている。

一般的なメロディーを奏でる楽器はまるでなく、演奏というより発音、の集まりである。各楽器は勝手気ままに音を出しているように思えるが、カオス的なばらばらの部分と、一斉に一つの方向を向いて揃う瞬間、アンサンブル的に調和を持って互いに高めあう瞬間、など緻密に構成されている。その意味では、いわゆる交響曲としての要素をちゃんと持っている曲ということができる。

それにしても様々な音が出るものである。いくつかの音が重なり合って、さらに不思議な音を作り出しているのだが、いったいこれは何の楽器の音だろう、と考えてしまうような音があちこちにある。またCDではステレオの2チャンネルだけだが、実際に3つのオーケストラを前にして聴くことができれば、音空間のとても大きな広がりを味わうことができるのだろうと思う。視覚的にも面白いだろう。

「プンクテ」は「点」という意味である。1952年に作曲されたが、1962年に大幅な改訂が行われ、最終的に1994年に決定稿が出された作品だ。ここでは1994年の決定稿が演奏されている。「点」という意味のタイトルだが、単に「点」だけではなく、平面的な「層」が重なり合った立体感があり、その平面に点をぽつぽつと落とした、といったような音楽である。特に後半が面白い。

このCDはBMC、ブタペスト・ミュージック・センター・レコードから発売された。音楽とは関係ないが、ジャケットデザインが秀逸である。(20070224/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)
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# by cultmusic | 2007-02-24 02:16 | 現代音楽

組曲「人形風土記」、子供のための組曲 / 長沢勝俊

Ningyo Fudoki Suite, Suite for Children 組曲「人形風土記」、子供のための組曲 / Katsutoshi Nagasawa 長沢勝俊

e0111398_253561.jpg長沢勝俊は1923年に東京で生まれた。日本大学芸術学部で学び、人形劇団「プーク」に入団し、人形劇のための音楽を作曲しながら、清瀬保二に師事した。また1964年に結成された「日本音楽集団」のために多くの作品を書いた。このアルバムには、長沢勝俊が日本音楽集団のために書いた2つの曲が収められている。

組曲「人形風土記」は1966年に作曲された曲で、長沢勝俊の初期の代表作といえる作品だ。日本各地の郷土人形をテーマに作曲されており、構成する6つの曲はそれぞれ「ニポポ」「こけし」「のろま人形」「流しびな」「きじうま」「木うそ」と表題がついている。いずれもたいへん素朴な曲で、まさにその素朴さが特徴となり、時の中で育まれた伝統的な温かさを感じさせる。使われている邦楽器は曲によって異なるが、篠笛、尺八、琵琶、三絃、箏、太棹三絃、十七絃、そして打楽器だ。

「子供のための組曲」は、日本音楽集団の旗揚げ公演で初演され、長沢勝俊と日本音楽集団の代表的な曲となっている作品だ。冒頭の第1楽章「Vivace」のメロディーはダイナミックで印象的であり、一気に心を引き込まれる。第2楽章「Andante cantabile」は尺八だ。尺八というのは、恒久の時を思わせる音がする。第3楽章「Scherzando」は邦楽器の合奏で演奏される。リズミカルで明るく、ユーモラスな曲だ。第4楽章「Larghetto」は、ゆったりとした雰囲気で終章前の落ち着きをみせる。そして最後の第5楽章「Allegro vivace」は和太鼓で始まり、そして三絃が加わって次第に合奏が大きくなる。伝統的な日本民謡を意識させる曲だ。

録音は1970年、川口市民会館で行われた。もともとの録音ソースのクオリティが良くないことと、曲に音の疎な部分が多いことで、かなり磁気テープのヒスノイズが耳につく。イヤフォンで聴くときは少々気になる。しかしこのような録音をCD化する意欲的な企画に感謝したい。TOWER RECORSと株式会社BMGファンハウスによる「TOWER RECORDS RCA Presious Selection 1000」と題されたシリーズのNo.25で、1,050円という廉価で販売されたものだ。(20070223/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)
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# by cultmusic | 2007-02-23 02:54 | 現代音楽

An John Field. Nocturnes, Vier Neue Klavierstucke, Klavieralbum mit Sphinxen / Wilhelm Killmayer

e0111398_254346.jpgこれは面白い。ユーモアにあふれた、大胆なピアノ曲である。なんとなく聞き流せば落ち着いた古典的なピアノ曲かな、と思わされるが、どこか奇妙である。そう思いながら聴き進めていくと、だんだんと尋常ではない雰囲気になってくる。しかしそれらは、完全にアバンギャルドといった混沌へ行ってしまうのではなく、偉大なるユーモアの精神、という状況で収まっている。

「ジョン・フィールドにおける夜奏曲」は5つの楽章で構成されており、そのうちの3番目は「Am Grat (On the ridge)」、4番目は「Ausflug aus dem Karzer (Escape from detention)」、そして5番目は「Im Schlupfoch (In the hole)」と名前がついている。どの曲も落ち着いた中に正気と狂気の紙一重、といったクールな緊張感を含んでいる。微妙な曲のねじれ方は、しっかりと集中して聴くと面白さがよくわかる。

「5つの新しいピアノ曲」は、まさに、ニュー・スタンダード、といった感じだ。現代的な難解さはなく、さりとて単なる綺麗なだけの曲ではない。しかし、あまり難しく考えなければ小粋なピアノ曲集、ととらえて聴くこともできるだろう。このCDの中ではリラックスして聴けるトラックだ。

「スフィンクスのピアノ曲集」は9つの曲で構成されている。「スフィンクス」は、頭は女性で翼のあるライオンの胴体を持ったギリシャ神話の怪物だ。通行人に謎を出し、答えられなかった者を殺したという。これを転じて「不可解な人、謎の人」という意味もあるようなので、「不可解な人のためのピアノ曲集」という意味にもなるのだろうか。比較的はっきりとメリハリをつけて羽目を外してくれるのでわかりやすい。ただ9つの曲で構成されているにもかかわらず、全部で16分58秒しかなく、曲が短いのが残念だ。

このCDによって、俺はヴィルヘルム・キルマイヤーの曲に初めて出会い、たちまち虜になってしまった。音楽との出会いは不思議な縁であり、他の何物にも代えがたい財産となる。演奏はSiegfried Mauser。ヴェルゴWERGOから2002年に発売されたドイツ盤だ。(20070222/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)
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# by cultmusic | 2007-02-22 02:54 | 現代音楽

Lyric Symphony, Three Pieces from the "Lyric Suite" / Alexander Zemlinsky, Alban Berg

Lyric Symphony, Three Pieces from the "Lyric Suite", Five Orchestral Songs / Alexander Zemlinsky, Alban Berg
e0111398_1154083.jpgこのCDには、アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキーの代表作とされるLyric Symphony in Seven Songs Op.18「抒情交響曲」、そしてこの曲から引用されたアルバン・ベルクのThree Pieces from the "Lyric Suite"「抒情組曲」、そして同じくベルクのFive Orchestral Songs after Texts from Postcards Op.4「アルテンベルク歌曲集Op.4」が収められている。

ベルクの「抒情組曲」を聴くと、ああ、この人はまさにシェーンベルクを継ぐ人であったのだ、と思う。官能的であり、ロマンに満ちている。だがしかし、ツェムリンスキーの「抒情交響曲」との関連について考えるよりも、この曲はこの曲として味わうのが正しいと思う。

一方「アルテンベルク歌曲集」では、後期ロマン派の影響から脱し、新しい境地へとベルクが歩を進めようとしていることがわかる。ベルクの師といえるアーノルド・シェーンベルクからは良い評価をもらえなかったらしいが、もしかしたらベルクの進もうとしている世界がシェーンベルクにはわからなかったのかも知れない。

「抒情組曲」は、たいへんダイナミックな曲だ。特に第2楽章から第3楽章へかけての展開は息もつかせぬ迫力を持っている。しかし、一瞬で心をぐっと捕まえられるほどの印象的な部分はない。やはり誰にでも知られるポピュラーな曲になるためには、多少強引であっても、人の心を鷲掴みにするような個性が必要なのだろう。だが誰にでもすぐわかるような明確な魅力を持たない曲こそ、じっくりと聴き込むことでますます良さがわかってくるということもある。いくつかのWebサイトを見ると、このCDにおける演奏の評判は高いようなので、この曲とはこれからゆっくりとつきあうことにしよう。

演奏はSWFシンフォニー、指揮はミヒャエル・ギーレン。ARTE NOVAから発売されたEC盤だ。(20070221/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)
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# by cultmusic | 2007-02-21 01:16 | 現代音楽

Works by Tokuhide Niimi 風を聴く / Tokuhide Niimi 新実徳英

e0111398_315431.jpg「風音」はクラリネットとバイオリン、チェロのための音楽である。ごくわずかに波長の異なる楽器の音が、うねりを持って一体となっている。どの音がクラリネットなのか、バイオリンなのか、そしてチェロなのか、区別がつきにくい。また、そのような区別を不要とする所に、この曲の面白さがある。メロディーは雅楽のようでもあり、日本を意識させる。そして風音は、ずっと高みへのぼりつめ、果てる。

「横竪」と題されたチェロ独奏の曲は、「横」と「竪」すなわち「ヨコ」と「タテ」を意味している。チェロの独奏を、ヨコとタテというメリハリのある2分化した構成と奏法で組み立てているようだ。それはすなわち高音と低音、早いパートと遅いパート、アルコとピッチカートといった具合である。

「風韻II」は3本の尺八による曲だ。ここでも音程のわずかにずれた尺八の音がうねりをみせ、空間的な広がりを感じさせる。複雑に重なったり離れたり、ほとんど一体となって形をなしたりする。それにしても尺八という楽器は本当に艶がある。

「青の鳥」は「おうのとり」と読む。2台の十二弦箏による作品だ。最初はかすかに小さな音で始まる箏の音が次第に大きくなり、箏に独特の大きなビブラートで踊るように奏でられるところが大胆である。一定のリズムで2つの箏がつかず離れずユニゾン的に弾かれるところにはミニマルミュージックの香りも感じられる。とても面白い。

最後の「風を聴く」は室内楽であるが、他の曲と異なり、やや大きな編成である。2本の篠笛、3本の尺八、3台の二十弦箏、1台の十七弦箏によって演奏されている。楽器の編成が大きいこともあって、より複雑な相互作用をみせてくれる。聴き込むほど味わい深さが増す作品だ。

このCDはライブ録音であり、「お聴き苦しい箇所がございますがご了承下さい」と断り書きがある。時折なにか物が動くような音がする箇所があるが、ほとんど気にならない。むしろ楽器の音にライブ感があって、生々しさが感じられる録音になっている。このCDはfontecから発売された日本盤だ。(20070220/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)
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# by cultmusic | 2007-02-20 03:15 | 現代音楽


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